小説『ESS部に入るつもりがESP部に入ってしまった』


 高校に入学したら、部活はESSに入ると決めていた。イングリッシュスピーキングソサエティ。わたしは英語がわりと好きだし、もっと英語力を伸ばしたかったからだ。しかし、わたしがいま所属しているのはESS部ではない。
 わたしの学校では、部活への入部届は担任を介して提出するシステムになっている。新学期が始まってすぐに、わたしは意気揚々と入部届を担任に渡した。もちろん用紙には「ESS部入部希望」と記入していた。絶対に間違えてなどいない。それなのに、担任の手違いでわたしはESS部ではなくESP部という部活に入ることになってしまった。わたしは抗議したけれど、そんなことをしている間にESS部の入部希望者が定員に達してしまい、結局今年度はESS部に入ることができなかったのだ。そういうわけで、わたしは不本意ながらもESP部の新入部員をやっている。




 入る気などなかった部活とはいえ、最初から幽霊部員になってしまうのは気が引ける。わたしはそれなりに真面目な性格なのだ。入部翌日の放課後に、わたしはESP部の部室を訪れた。

「失礼します」

 わたしは挨拶をしながら部屋のドアを開ける。中には誰もいなかった。誰もいないけれど、施錠されていなかったということは一時的な不在なのだろう。そのうち部員の誰かがやってくる可能性が高い。そう思うとすこし落ち着かないような気持ちになって、わたしは前髪を弄った。
 立ったまま、部屋の中を観察する。十人も入ればいっぱいになるであろう狭さの空間は、すこし埃っぽかった。部屋の中央にはわたしが教室で使っているものと同じ机と椅子がいくつか置かれている。壁に備え付けられた棚にはぎっしりと本が並んでいた。どんな本が置かれているのだろう、とわたしが本棚に歩み寄ったとき、背後でドアの開く音がした。

「あ、もしかしてヒラノさん?」

 わたしが振り向くより先に、声をかけられる。わたしが振り向くと、そこにはひとりの男子生徒が立っていた。ネクタイに施された刺繍の色がわたしのものと違う。三年生だ。

「はい」

 名を呼ばれたわたしが答えると、男子生徒は部室に入りながら、そっか、とだけ言った。彼が椅子を引いてくれたので、わたしは椅子にかける。彼も椅子に座って、わたしたちは机を挟んで向かい合うかたちになった。すぐに彼が口を開いた。

「ヒラノさんって人が入ってくれるって聞いてたから」

「そうなんですか」

 入るつもりはなかったんだけど、と内心でぼやきながらわたしは返事をする。それから互いに簡単な自己紹介をして、形式上、わたしたちは先輩と後輩になった。

「ヒラノさんはどんな力が使えるの?」

「力……ですか?」

 十数年間生きてきて、そんなことを訊かれたのは初めてだった。まだ子どもと呼ばれる年齢のわたしに行使できる力など、ほとんど思いつかない。わたしは正直に、なにも使えません、と答える。先輩は一瞬驚いたような顔をした後に言った。

「めずらしいな」

 わたしはその言葉の意味も理解することができず、どういうことですか、と問うた。先輩はわたしが状況を飲み込めていないことを悟ったのか、丁寧に説明してくれた。
 ESPとは超感覚的知覚のことで、いわゆる超能力の一部、具体的には予知や透視やテレパシーなどをそう呼ぶらしい。そしてこのESP部はそういった能力の研究や実践を目的とした部活で、入部者のほとんどは超能力者なのだそうだ。信じられないような話だけれど、わたしは先輩の言っていることを疑うことはできなかった。なぜなら先輩はいっさい口を開かずに、すべての説明をわたしにしてくれたからだ。先輩は声を発していないのに、先輩の言葉がはっきりとわたしの頭の中に流れ込んでくる。それは疑いようもなくたしかな感覚で、わたしはひどく戸惑った。わたしが黙り込んでいると、先輩はやっと口を開いて肉声で告げた。

「おれはね、テレパシーが使えるんだ」




 それから春は過ぎて夏が来て、夏も過ぎて秋が来た。秋が来る前に先輩は部活を引退したことになっていたけれど、彼はこれまでと変わらず部室に入り浸っている。人当たりのいい先輩はESP部のみんなに好かれていたので、特に問題にはならなかった。
 秋の雨は長い。今日も雨が降っていて、部室の窓から眺める空は暗い。湿り気を帯びた空気は冷たいし、天井の蛍光灯はいつもより眩しい。わたしの斜め前に座っている先輩はずっと参考書と向き合いながら、ノートにシャープペンシルを走らせている。ときおり先輩がシャープペンシルをかちかちとノックする音や、マーカーをきゅっと引く音、本のページのこすれる音が響くだけで、ふたりきりの部屋はとても静かだった。先輩が勉強をしている間、わたしはぼんやりとスマートフォンを眺めたり窓の外を見やったりして過ごした。
 下校時刻を告げる放送が流れると、わたしと先輩は部室を出て職員室へと向かった。部室の鍵を返却するためだ。わたしたちは雑談をしながら、薄暗い廊下を並んで歩いた。

「ヒラノさんは文系に進むか理系に進むか、もう決めてるの?」

 先輩の問いに、わたしはすぐ答えた。

「文系にしようと思ってます。できれば大学は英語系の学部に行きたいので」

「へえ、知らなかったなあ」

 そう言われて、わたしはなんとなく寂しい気持ちになる。なぜかはよくわからなかった。そういえば、わたしはESP部へ入った経緯を先輩に話していない。これまでに訊かれたこともなかったからだ。そんなことをぼんやりと考えていると、得体の知れない寂しさのようなものはどんどん膨れ上がっていき、わたしの胸はぺしゃんこに押し潰されてしまいそうだった。どこか縋るような気持ちでわたしは先輩の顔を盗み見たけれど、暗さのせいか先輩の表情はほとんど見えなかった。緑色に光る非常口の誘導灯は、やけにはっきりとわたしたちを照らしてくれていたはずなのに。
 わたしと先輩は職員室で鍵を返すと、まっすぐ校舎を出て校門で別れた。




 冬はあっという間だった。完全な冬が去った後、春が来たのか来ていないのか判断しかねるような季節が来ると、すぐに三年生の卒業式の日が訪れた。わたしは小さな花束を片手に、卒業式の行われているホールの前で先輩を待っていた。私の学校では卒業式の後に後輩が先輩へ花束を渡す慣習があり、部活に入っている生徒は部活の先輩へ渡すのが一般的な決まりだった。
 やがてホールの扉が開くと、卒業生が一列になって外へと出てくる。卒業生はそのまま列を崩さず自分の教室に戻っていくので、わたしたち後輩は手際よく、タイミングよく花束を渡す必要がある。わたしは卒業生の列をじっと見つめて先輩が現れるのを待っていた。
 しばらくすると、ホールの中から先輩が現れた。わたしが先輩に近づくと、すぐに先輩はわたしに気づく。花束を渡しながらわたしは先輩に伝えた。

「ご卒業おめでとうございます」

「ありがとう」

 先輩はすこし照れたように笑いながら花束を受け取り、短く答えた。
 ほんの数秒のやりとりを終えて、わたしは離れていく先輩の背中を見送る。あなたが好きです。あなたが好きです。わたしは何度か彼の背中に向かって念じたけれど、すぐにやめた。わたしにはなんの力もなくて、なにもあなたに伝えることができないのだ。



 
 その日もわたしはいつものように部室を訪れた。先客は誰もいなかった。ひとりで本を読んでいると、花束を持った先輩がやってきた。

「あ、やっぱりヒラノさん、ここにいた」

「どうしたんですか」

 もしかしたら先輩はわたしを探していたのかもしれない、という事実にわずかに胸を躍らせながらも、わたしはそれを悟られないように努めつつ訊いた。

「ヒラノさんに伝えたいことがあって」

 先輩の言葉にわたしは身体をこわばらせた。それはいったいどういう意味の言葉なんだろう。先輩はわたしを見つめながらゆっくりと続けた。

「おれ、好きな人がいるんだ。ごめんね」

 わたしの困惑と期待をばらばらに砕き散らしながら、先輩は申し訳なさそうな顔をする。

「そうなんですか」

 わたしはそう答えることしかできず、わたしたちの最後の会話はそれで終わってしまった。




 あれから数年が経つけれど、わたしがテレパシーを使うことができたのは、あの日が最初で最後だった。相変わらずわたしは超能力を持たないままだ。べつに超能力がほしいとも思わない。わたしは超能力よりも、わたしのための力がほしい。ありふれたものでいい、ささやかなものでいい。わたしがわたしでなくならないように、わたしがわたしでいられるように。あなたに失恋しなければ、そう思うこともなかったのかもしれない。あくまで、かもしれない、の話だけれど。




ツイッターでもらったお題「テレパシー」