連作『叶わなくてもよかった夢のひとつとして』
始まりは春で疾風で三日月で電車のすれ違えない駅で
歌うためではないマイクを握るときゆっくりまわりはじめる車輪
息をする 羽化にも開花にも見えずビニールの輪がふくらんでいく
さっぱりと笑われ笑いかえすとき秘密の質問母の旧姓
わたしなら与えてやれる元通りうつくしい空の絵画ができる
人生におけるホテル・カリフォルニアの後奏に似た時間について
銀杏を踏み潰さないようにゆくあの日のままで過去になりたい
ハイヒールのリズムはわずかにずれて二人 わたしが住むだけの街
セーターは古くなっても着られる、セカンドシーズンをいまも待つ
見たことのないバスを待つ十分のよるべなさほどシートは青く
切り花をよいしらせとわるいしらせでつつむ 隣人にわたすため
あなたを(任意のひらがな二文字)と呼ぶ叶わなくてもよかった夢
最適日常さまのリレーネプリNo.32に掲載させていただいた連作です。
麻雀おぼえがき2(役を覚える編)
雀魂で「おっ、なんか『チー』って押せるやつが出てきたぞ!」とやみくもにチーやポンやカンの表示を押していてもしかたがないということがわかってきたので、これからは意志を持ってチーやポンやカンを押すために、あるいは押さないという選択をするために、役を覚えていこうと思う。
まずは雀魂内の「役種一覧」を参照しながら、ざっと見ていくことにする。
前回のおぼえがき同様、ここに書いてあることを絶対に信じてはならない。めちゃくちゃ間違っている可能性があるため……。
一翻
翻というのは麻雀における加点要素らしく、あがったときに翻がたくさんついていると点数が伸びるっぽい。
立直(リーチ)
前回覚えた。なんでもいいのでとにかく門前清で揃えればよい。
門前清自摸和(メンゼンツモ)
門前清でツモあがりする。
平和(ピンフ)
順子4セットと役牌以外の完全に同じ牌2枚を揃える。
門前清の場合のみ。しかも最後は順子の両面待ち(前の数が来ても後ろの数が来てもOKの状態)からあがらなくてはならない。なかなか大変だ、これで一翻か……。
一盃口(イーペーコー)
同種同数の順子を2セット作る。他の部分はなんでもいい。萬子123萬子123みたいな。これも門前清のみ。きびしい。
嶺上開花(リンシャンカイホウ)
嶺上牌(カンしたときに引く牌)であがる。なんかカンの際に引く牌ゾーンがあるらしい。
海底摸月(ハイテイ)・河底撈魚(ホウテイ)
局最後の牌でツモあがり・ロンあがりする。
一発(イッパツ)
リーチ後一巡するまでに誰も鳴かずにあがる。
二翻
ダブル立直(ダブルリーチ)
誰の鳴きも入らない状態で自分の第一巡目でリーチしてあがる。
七対子(チートイツ)
完全に同じ牌2枚を7セット揃える。システム上鳴けない。
一気通貫(イッキツウカン)
123、456、789を萬子筒子索子のどれか1種類で揃える。食い下がり一翻。
三色同順(サンショクドウジュン)
萬子筒子索子で同じ数の並びの順子を揃える。萬子123筒子123索子123みたいな。食い下がり一翻。
三翻
純全帯么九(ジュンチャン)
雀頭含めすべてのセットに一か九を入れて揃える。食い下がり一翻。
流し満貫
流局時に自分の牌がすべて一と九と字牌であり、他の人に鳴かれなかった場合に成立する。
役満
点数の計算についてはよくわからないが、もはや翻をちまちまと足していって……とかではなくなるようだ。景気がいい。
天和(テンホー)・地和(チーホー)
配牌の時点でやばい場合のやつ。
四暗刻(スーアンコウ)
暗刻を4つ作る。システム上鳴けない。
緑一色(リューイーソー)
赤色が含まれていない索子と發だけで揃える。發はなくてもよい。
清老頭(チンロートー)
一と九だけで揃える。
九蓮宝燈(チューレンポートー)
萬子筒子索子のどれか1種類で1112345678999+どれか1枚を揃える。門前清の場合のみ。……門前清の場合のみ!? きびしすぎる……。
ダブル役満
うれしい役満がダブルになってさらにうれしい。
大四喜(ダイスーシー)
以上が、スタンダードな役らしい。
すべて丸暗記できれば問題ないのだろうが、正直私にはできる気がしない。そこで、ざっくりと成立条件別に整理してみることにした。
麻雀は取捨選択のゲームである。とか書くと「おまえは麻雀のなにを知っているんだ」という感じでしかないが、麻雀は基本動作からして取捨選択ゲーである(と私は思っている)。そして麻雀のことが全然わかっていない私にも一応最善……は無理でもまあまあ善くらいの選択をしたいという気持ちはある。手牌を眺めて、順子を揃えるか、刻子を揃えるか、こだわらないか。どんな数字を揃えていくか。鳴くか、鳴かないか。字牌をどうするか。配牌に偏りがある気がするが、どうしようか。みたいなことを一応考える。一応考えようとしてみてはいる。そのときに「こんな感じの手牌だったらこの役が狙っていけるかもしれないな〜」とか「これをやるとあの役は狙えなくなるな〜」みたいなところがわかれば助かるかもしれない。たぶんそれはそう……。
ということで、成立条件別になんとなく分類してみたいと思う。うまくまとめられる気がしない。
ここからはイマジナリー手牌を思い浮かべながら書いていくことにする。
さて
順子を揃えるか、刻子を揃えるか、こだわらないか
順子ベースの役
平和(なんでも順子4セット+役牌以外2)
一盃口(完全に同じ順子2セット)
二盃口(完全に同じ順子2セットを2つ)
一気通貫(萬子筒子索子のどれか1種類で1〜9まですべて)
三色同順(萬子筒子索子のすべてで同じ数字の並びの順子)
一と九をどうするか
小説『ESS部に入るつもりがESP部に入ってしまった』
高校に入学したら、部活はESSに入ると決めていた。イングリッシュスピーキングソサエティ。わたしは英語がわりと好きだし、もっと英語力を伸ばしたかったからだ。しかし、わたしがいま所属しているのはESS部ではない。
わたしの学校では、部活への入部届は担任を介して提出するシステムになっている。新学期が始まってすぐに、わたしは意気揚々と入部届を担任に渡した。もちろん用紙には「ESS部入部希望」と記入していた。絶対に間違えてなどいない。それなのに、担任の手違いでわたしはESS部ではなくESP部という部活に入ることになってしまった。わたしは抗議したけれど、そんなことをしている間にESS部の入部希望者が定員に達してしまい、結局今年度はESS部に入ることができなかったのだ。そういうわけで、わたしは不本意ながらもESP部の新入部員をやっている。
入る気などなかった部活とはいえ、最初から幽霊部員になってしまうのは気が引ける。わたしはそれなりに真面目な性格なのだ。入部翌日の放課後に、わたしはESP部の部室を訪れた。
「失礼します」
わたしは挨拶をしながら部屋のドアを開ける。中には誰もいなかった。誰もいないけれど、施錠されていなかったということは一時的な不在なのだろう。そのうち部員の誰かがやってくる可能性が高い。そう思うとすこし落ち着かないような気持ちになって、わたしは前髪を弄った。
立ったまま、部屋の中を観察する。十人も入ればいっぱいになるであろう狭さの空間は、すこし埃っぽかった。部屋の中央にはわたしが教室で使っているものと同じ机と椅子がいくつか置かれている。壁に備え付けられた棚にはぎっしりと本が並んでいた。どんな本が置かれているのだろう、とわたしが本棚に歩み寄ったとき、背後でドアの開く音がした。
「あ、もしかしてヒラノさん?」
わたしが振り向くより先に、声をかけられる。わたしが振り向くと、そこにはひとりの男子生徒が立っていた。ネクタイに施された刺繍の色がわたしのものと違う。三年生だ。
「はい」
名を呼ばれたわたしが答えると、男子生徒は部室に入りながら、そっか、とだけ言った。彼が椅子を引いてくれたので、わたしは椅子にかける。彼も椅子に座って、わたしたちは机を挟んで向かい合うかたちになった。すぐに彼が口を開いた。
「ヒラノさんって人が入ってくれるって聞いてたから」
「そうなんですか」
入るつもりはなかったんだけど、と内心でぼやきながらわたしは返事をする。それから互いに簡単な自己紹介をして、形式上、わたしたちは先輩と後輩になった。
「ヒラノさんはどんな力が使えるの?」
「力……ですか?」
十数年間生きてきて、そんなことを訊かれたのは初めてだった。まだ子どもと呼ばれる年齢のわたしに行使できる力など、ほとんど思いつかない。わたしは正直に、なにも使えません、と答える。先輩は一瞬驚いたような顔をした後に言った。
「めずらしいな」
わたしはその言葉の意味も理解することができず、どういうことですか、と問うた。先輩はわたしが状況を飲み込めていないことを悟ったのか、丁寧に説明してくれた。
ESPとは超感覚的知覚のことで、いわゆる超能力の一部、具体的には予知や透視やテレパシーなどをそう呼ぶらしい。そしてこのESP部はそういった能力の研究や実践を目的とした部活で、入部者のほとんどは超能力者なのだそうだ。信じられないような話だけれど、わたしは先輩の言っていることを疑うことはできなかった。なぜなら先輩はいっさい口を開かずに、すべての説明をわたしにしてくれたからだ。先輩は声を発していないのに、先輩の言葉がはっきりとわたしの頭の中に流れ込んでくる。それは疑いようもなくたしかな感覚で、わたしはひどく戸惑った。わたしが黙り込んでいると、先輩はやっと口を開いて肉声で告げた。
「おれはね、テレパシーが使えるんだ」
それから春は過ぎて夏が来て、夏も過ぎて秋が来た。秋が来る前に先輩は部活を引退したことになっていたけれど、彼はこれまでと変わらず部室に入り浸っている。人当たりのいい先輩はESP部のみんなに好かれていたので、特に問題にはならなかった。
秋の雨は長い。今日も雨が降っていて、部室の窓から眺める空は暗い。湿り気を帯びた空気は冷たいし、天井の蛍光灯はいつもより眩しい。わたしの斜め前に座っている先輩はずっと参考書と向き合いながら、ノートにシャープペンシルを走らせている。ときおり先輩がシャープペンシルをかちかちとノックする音や、マーカーをきゅっと引く音、本のページのこすれる音が響くだけで、ふたりきりの部屋はとても静かだった。先輩が勉強をしている間、わたしはぼんやりとスマートフォンを眺めたり窓の外を見やったりして過ごした。
下校時刻を告げる放送が流れると、わたしと先輩は部室を出て職員室へと向かった。部室の鍵を返却するためだ。わたしたちは雑談をしながら、薄暗い廊下を並んで歩いた。
「ヒラノさんは文系に進むか理系に進むか、もう決めてるの?」
先輩の問いに、わたしはすぐ答えた。
「文系にしようと思ってます。できれば大学は英語系の学部に行きたいので」
「へえ、知らなかったなあ」
そう言われて、わたしはなんとなく寂しい気持ちになる。なぜかはよくわからなかった。そういえば、わたしはESP部へ入った経緯を先輩に話していない。これまでに訊かれたこともなかったからだ。そんなことをぼんやりと考えていると、得体の知れない寂しさのようなものはどんどん膨れ上がっていき、わたしの胸はぺしゃんこに押し潰されてしまいそうだった。どこか縋るような気持ちでわたしは先輩の顔を盗み見たけれど、暗さのせいか先輩の表情はほとんど見えなかった。緑色に光る非常口の誘導灯は、やけにはっきりとわたしたちを照らしてくれていたはずなのに。
わたしと先輩は職員室で鍵を返すと、まっすぐ校舎を出て校門で別れた。
冬はあっという間だった。完全な冬が去った後、春が来たのか来ていないのか判断しかねるような季節が来ると、すぐに三年生の卒業式の日が訪れた。わたしは小さな花束を片手に、卒業式の行われているホールの前で先輩を待っていた。私の学校では卒業式の後に後輩が先輩へ花束を渡す慣習があり、部活に入っている生徒は部活の先輩へ渡すのが一般的な決まりだった。
やがてホールの扉が開くと、卒業生が一列になって外へと出てくる。卒業生はそのまま列を崩さず自分の教室に戻っていくので、わたしたち後輩は手際よく、タイミングよく花束を渡す必要がある。わたしは卒業生の列をじっと見つめて先輩が現れるのを待っていた。
しばらくすると、ホールの中から先輩が現れた。わたしが先輩に近づくと、すぐに先輩はわたしに気づく。花束を渡しながらわたしは先輩に伝えた。
「ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
先輩はすこし照れたように笑いながら花束を受け取り、短く答えた。
ほんの数秒のやりとりを終えて、わたしは離れていく先輩の背中を見送る。あなたが好きです。あなたが好きです。わたしは何度か彼の背中に向かって念じたけれど、すぐにやめた。わたしにはなんの力もなくて、なにもあなたに伝えることができないのだ。
その日もわたしはいつものように部室を訪れた。先客は誰もいなかった。ひとりで本を読んでいると、花束を持った先輩がやってきた。
「あ、やっぱりヒラノさん、ここにいた」
「どうしたんですか」
もしかしたら先輩はわたしを探していたのかもしれない、という事実にわずかに胸を躍らせながらも、わたしはそれを悟られないように努めつつ訊いた。
「ヒラノさんに伝えたいことがあって」
先輩の言葉にわたしは身体をこわばらせた。それはいったいどういう意味の言葉なんだろう。先輩はわたしを見つめながらゆっくりと続けた。
「おれ、好きな人がいるんだ。ごめんね」
わたしの困惑と期待をばらばらに砕き散らしながら、先輩は申し訳なさそうな顔をする。
「そうなんですか」
わたしはそう答えることしかできず、わたしたちの最後の会話はそれで終わってしまった。
あれから数年が経つけれど、わたしがテレパシーを使うことができたのは、あの日が最初で最後だった。相変わらずわたしは超能力を持たないままだ。べつに超能力がほしいとも思わない。わたしは超能力よりも、わたしのための力がほしい。ありふれたものでいい、ささやかなものでいい。わたしがわたしでなくならないように、わたしがわたしでいられるように。あなたに失恋しなければ、そう思うこともなかったのかもしれない。あくまで、かもしれない、の話だけれど。
ツイッターでもらったお題「テレパシー」
麻雀おぼえがき
雀魂を触っているうちになんとなくわかってきたことを自分用にメモとして残しておく。全部「これってこうっぽいな〜」の感じで書いているのでめちゃくちゃ間違っている可能性がある。絶対に信じてはならない。
基本アクション
①牌をひとつ引くor人の捨てた牌をひとつもらう
②手牌をひとつ捨てる
これを四人で順番にやっていき、誰かがあがったり局が流れたりするまで続ける。
最初に手牌を配るのとか親とか子とか場とかなんとかそのへんは全部アプリがやってくれる。アプリを触ればなんとなく流れはつかめるものだと思う。
牌について
・萬のやつ
ワンズ。時の〜扉〜〜
・月餅みたいな絵柄のやつ
ピンズ。押しピン(画鋲)っぽいから覚えられる。
・竹みたいな絵柄のやつ
ソーズ。1は鳥の絵柄。ソーズって覚え方なさすぎ。
・東西南北
東南西北でトンナンシャーペー。
・白發中
ハクハツチュン。
全種類、完全に同じ牌が4枚ずつある。
ワンズピンズソーズは1から9まである。
ゲームの目標とか進め方とか
完全に同じ牌3枚(コーツ)
または
同じ種類かつ連続する数字の牌3枚(シュンツ)
を1セットとして
コーツorシュンツ(混合可)4セット+完全に同じ牌2枚
を揃えるのがゲームの目標。
しかし、ただ揃えればいいというわけではない。
しかし、ただ揃えるのもありっちゃありっぽい。
ただ揃える場合
ただ揃えて立直すれば立直が役になるのであがれる。立直を宣言するには持ち点から1000点を払う必要がある。
チーにゃポンにゃ明カンにゃをする(鳴く)と立直ができない。チー略をしていない状態を門前清と呼び、その場合のみ立直ができる。たぶん。
では鳴いたらどうなってしまうのか
これが「ただ揃えればいいというわけではない」パターンの話である。鳴いた場合、役つまり特定の組み合わせがないとあがれない。
揃ったコーツシュンツを晒すことになるというデメリット?もある。
鳴きの種類
・チーにゃ
シュンツをつくる。左の人の捨て牌(俺のターンの直前に捨てられた牌)でしかできない。
・ポンにゃ
コーツをつくる。誰の捨て牌でもできる。
・明カンにゃ
完全に同じ牌を4枚そろえたカンツというセットをつくる。誰の捨て牌でもできる。でも明カンはあまりメリットがないらしい。
これらを行う場合、人の捨て牌をもらう代わりに自分の手持ちの牌をひとつ捨てる必要がある。
役揃えるの無理っぽいけど鳴くか……
そういうパターンもあるっぽい。
山場の牌をすべて引き終えるなどで誰もあがらず局が流れるときに、テンパイ(あと一枚であがれる状態のこと)しているとボーナス点がもらえる。テンパイしていなかった人が支払うボーナスなので、回避するにはテンパイするしかないっぽい。たぶん。
そんなあ〜と思っていたが、どうやら局が流れる場合は「牌は揃っているが役がないからあがれない」パターンのテンパイ(と呼んでいいのかわからないが)もテンパイ扱いになるっぽい。ありがとう……。これはつまり、やばいときには鳴いてどうにかできる可能性があるということである。たぶん……。
かけ声シリーズ
他のかけ声?としては以下のものがある。
・ツモ
自分の引いた牌であがるときに言う
・ロン
人の捨てた牌であがるときに言う
個人的に理解しづらかった部分のおさらい
なきますか なきませんか
なきます
役がないとあがれない。つまり役を覚えていないと鳴けないのである。
なきません
これといった役がなくてもセットが揃えば立直であがれる。鳴けないので欲しい牌をすべて自引きする必要がある。
はやく役などを覚えて麻雀乙女になりたいのだわ……
つづく
小説『幻覚寺』
大学一年生の夏休みは、思っていたよりもずっと退屈だった。数少ない友人はみんな地元に帰省していて会えないし、夏休みは必ず会おうね、と春に約束した彼女にはふられてしまった。大きな集団に所属することがとても苦手なぼくは大学のサークルや部活に入っていないし、働くことも苦手なのでアルバイトすらしていない。こうなれば当然、夏休みの間は人と会う機会がほとんどなくなる。ひとりで過ごすのが好きな性格のぼくでも、さすがに孤独に飽きはじめたころだった。そろそろ誰かと会話をしたい。くだらないことでいいから。そんなことを思いながらそうめんを茹でていたら、スマートフォンから着信音が鳴った。ぼくはとても驚いて、菜箸を床に落としてしまった。
電話をかけてきたのは数少ない友人のうちのひとりだった。彼と話すのは数ヶ月ぶりだった。彼とは同じ地域に住んでいるが、違う大学に通っているせいもあってか、普段はあまり付き合いがないのだ。ぼくたちは互いに近況報告をする。ぼくはそうめんをすすりながら、遠距離恋愛が終わった話をした。彼はアルバイトが忙しいので帰省を取り止めてずっとこちらに残っているという話をしてくれた。
どんなアルバイトをしているのか問うと、ゲンカクジの売店でソフトクリームを売ってるんだ、と彼は答えた。ゲンカクジ。そんなお寺もあるのか、とぼくは思った。売店が存在するということは、それなりに観光客の訪れる場所なのだろう。ぼくたちの住む地域には本当にたくさんのお寺や神社があるが、ここに住み始めて半年のぼくはそれらについてあまり詳しくなかった。
ゲンカクジソフトクリームを奢ってやるから暇なときにでも遊びに来いよ、と電話の向こうの彼は続けた。とにかく暇をもてあましているぼくは即答する。
「明日行くよ」
友人によると、お寺は山の奥にあるらしい。ぼくの最寄り駅から電車を乗り継いで四十分ほどで、お寺があるという山のふもとの駅に着いた。この駅で降車したのはぼくだけだった。事前に指示されていた通り、ぼくは彼に連絡を入れた。すぐに彼からのメッセージが届く。「自販機の前でちょっと待ってて」という彼の言葉にしたがって、ぼくは駅前の道端に設置された自動販売機の前に立ち、なにかを待機することにした。なんとなくあたりを見回してみたが、駅前の道を人間や車が通る気配はなかった。特にすることもないので、目の前にそびえる山をぼんやりと眺めていたら、どこからか車のエンジン音らしきものが聞こえはじめたことに気づいた。かすかな音は次第にはっきりとしたものに変わっていき、道の向こうから白っぽい車が近づいてくるのが見えはじめた。どんどん大きくなる車を見つめていると、コートのポケットの中でスマートフォンが一回震えた。「そろそろ着くと思うから乗って」という彼からのメッセージをぼくが確認したのと同時に、目の前に白いバンが止まる。ぼくはすこし警戒しながら後部座席のドアを開けた。運転席に座っていた男が、どうぞ、と柔らかな口調でぼくに告げる。失礼します、と言いながらぼくは車に乗り込んだ。
車はすぐ山道に入り、それから十分も経たないうちに止まった。車を降りたぼくの視界に飛び込んできたのは、大きな門だった。よくあるお寺の門という感じだ。門には「幻覚寺」と書かれた札が掲げられていて、ぼくは初めて「ゲンカクジ」が「幻覚寺」であることを知った。
門を抜けて中に入り、すこし歩くと大きな池があった。池の周りには手入れされた松らしき木が植えられている。そしてその中央にはとても立派なお寺が——ない。ぼくは周囲を見回したが、お寺らしき建造物はいっさい見当たらなかった。建物といえば、池の横に木造の小屋のようなものがあるだけだった。その小屋の傍には「ソフトクリーム」と書かれたのぼりが立てられていたから、おそらくあれは売店なのだろう。お寺ではない。ぼくは戸惑いながら、とりあえずその小屋に近づいた。
「よう」
小屋の中から、見知った顔の人物が出てくる。友人だ。よく来たな、と笑いながら友人はぼくの肩を叩いた。
「お寺はどこにあるんだ」
ぼくは挨拶もそこそこに、彼に訊いた。まあまあ、と彼はぼくをなだめるように言いながらぼくを小屋の中に連れ込む。中はいたって普通の売店だった。彼はひとりで小さなカウンターの奥に入っていくと、黒い機械を操作してソフトクリームを巻きはじめる。すぐにソフトクリームの乗ったコーンが手渡され、ぼくは困惑しながらも礼を言った。
「幻覚寺ソフトクリームは池の前で食べるのがいちばんうまいんだ」
彼はそう言いながら、ぼくの背を押した。ぼくはいまいち納得できないような気持ちを抱えながら、池の正面へと向かった。
どこから見ても普通のソフトクリームに、口をつける。味もよくあるミルクのものと同じだ。まずくはないが、特においしいわけでもない。ぼくはソフトクリームを何口か食べてから、なんとなく景色に目をやった。大きな池、豊かな松の緑、そしてその中央にあるはずのお寺。普通ならそこにはお寺があるはずで、実際にはなにもなかった。はずだった。
いつのまにか、大きなお寺が現れている。あろうことか、お寺は派手な虹色に光っていた。信じられない。ぼくは何度も瞬きをしたり目を擦ったりしてみたが、お寺はカラフルなままだった。しばらく呆然としていると、手元にひやりとした感覚があった。ソフトクリームが溶けて指まで伝っていたのだ。ぼくは慌ててソフトクリームを食べすすめる。ソフトクリームの味は変わらないが、ぼくがソフトクリームを食べれば食べるほどにお寺は輝きを増していった。それだけではなく、お寺はぐにゃりと歪みだして不規則に回転したり波打ったりするようになった。いつのまにか周りの松の木や池の水面、高い空までもが虹色になってぐるぐると自由に動いている。ぼくはなんだかひどく愉快な気分になってきて、笑い声を上げた。ぼくはいま、とても幸福だ。そうやって楽しくソフトクリームを食べていると、突然、ここにあるすべての存在との一体感のようなものが胸に湧き上がってきたので、ぼくは笑いながらも涙を流した。
しばらく虹色の世界で踊っていると、ぼくの前にひとりの女が現れた。見間違えようもない。ぼくがとても愛していた彼女だった。ぼくに会いに来てくれたのだ、とぼくは確信した。ぼくにとって、すでにふられていることなどは瑣末な問題だった。だって、いま、彼女はぼくの目の前にいるのだから。ぼくは彼女に向かって大きく手を振った。彼女の反応はない。ぼくが首を傾げながらもう一度手を振ると、すっと彼女の横にひとりの男が現れた。ぼくの知らない人間だ。彼女とその男はぼくの前で抱き合うと、顔を寄せ合った。ぼくは思わず間に割って入ろうとしたが、なぜか足が動かなかった。自分のこめかみにだらだらと汗が伝っていくのがわかる。ふたりがゆっくりと互いの唇を重ねようとする姿を見ていられず、ぼくはぎゅっと瞳を閉じた。
それからぼくがおそるおそる目を開けると、そこにはなにもなかった。